ひとり、星と

初めましての方は初めまして。

そして、またお会いできた方は大変光栄です。『星と独り』と申します。

このたびは、「Shing-a-ling!2020 Flower」という貴重な機会に参加させていただき、誠にありがとうございます。

まずは何よりも、このご時世、そして公私ともにご多用の中で主催を務められたけせらんさん、当テキストを認めるにあたってのシステムをご用意いただいたしんのすけさん、お二人に厚く御礼申し上げます。

また、多くの参加チームの皆様も、それぞれの動画製作、大変お疲れ様でございました。

今年は複数チームへ参加なされている方も多く、そのバイタリティに圧倒されるばかりです。

みなさんが作られたあらゆる力作のいずれにも、最高の敬意を表します。

 

さて、その賑わう山の端でひっそり息を潜めている当チームについて、ご紹介させてください。

 

【歌ってみた】涙花病【Shing-a-ling!2020】

 

ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、当チームは「千音子」という歌い手の一人ユニットの名前をそのままチーム名とし、参加しております。企画から男声パート・女声パート・ミックス・動画作成・投稿までを全て一人で行っています。(イラストや一部動画素材等は外注等しておりますが…)

書いててなんだか悲しくなってきました。これが孤独なインターネット老人の姿なのだな。

 

とはいえ一人チームなのは今に始まったことでもなく、昨年の「Shing-a-ling!2019 Winter」からです。

 

【歌ってみた】winter gift【Shing-a-ling!2019】

 

昨年は選曲からイラストまで、かなり可愛い方針で動画を作りましたが、今年は180度方針転換してみました。

ボーカルの比率や歌い方、動画全体の色合い、イラストの雰囲気など、去年と比べて対照的なポイントが多々あります。なにより、今回はテーマが「花」ということもあり、花が咲いて枯れるまでの過程のような、ストーリー性を重視した動画が作りたかったのです。(ちなみに去年は「冬の暖かさ」とかそういうことを考えていました。)

 

そして、この動画がもうひとつ対照的になってるものがあって、それは原曲の動画です。

 

涙花病 / 初音ミク

 

原曲の動画では、赤い彼岸花と、目を閉じたセーラー服の少女のみが登場します。

寂しくも美しく、目が離せなくなるような動画ですね。この曲、本来は自分の中にいるもう一人の自分に宛てて書かれたものだそうです。わたしはそれを知った時、とても優しい歌だなと感じました。もう一人の自分が眠ってしまっても、ずっと一緒にいてくれる…もう一人の自分から今の自分へ語りかける、寂しいけれど優しい曲だなと、そう思ったのです。

 

一方わたしの今回作った動画は、青を基調としています。キャラクターも二人。

けれど、動画の中にあるのは「優しいようで寂しいもの」を意識しました。色の対比もそうだし、二人だからこそのわかり合えなさから来る寂寞感っていうのも、動画の見てほしい所のひとつだったりします。

今回の動画のストーリーは、こんなところです。

 

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兄妹のように育ってきた少年と少女は、彼らの意思ではないものによって引き裂かれようとしていた。

少年は軍へ招聘され、少女は病に苦しみ、永遠の別れは目前に迫っている。深い悲しみと憎しみを眼差しに宿し、それでも少女の前では微笑みであろうとする少年に、手の平を重ね、少女は語る。

濁る瞳を濯う涙さえ温度を失う、寒い日のことであった。

 

「私たちずっと、一人じゃなかったよ」

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仲睦まじくそっと手を合わせて、男の子から女の子に語りかけているようでいて、男の子が語りかけているのは女の子ではないのかもしれず、その証拠に二人は全然違うことを考えている…そういうことを考えていました。例をいくつか挙げます。

 

たとえば一人は、「いつかまた会えたら」というのが嘘だと知っています。帰ってきてまた会う、それを本当にしたいけれど、確実だと言うには苦しく、結果的に嘘をついてしまってます。

軍に招聘されて戦況が悪化したら、あるいは病状が悪化したら、もしかしたら生きていたとしても、帰ってくることができない、もう会えないかもしれない。でも、生きてまた会いたいというのは、死地に赴くにあたって唯一の希望だとはいえないでしょうか。

 

たとえば一人は、『ずっと一緒』という言葉をあまり信じきれないでいます。記憶や想いが残っても、そこに存在や温度はないからです。命が絶えても、自分のいた事実はなくならないから、それを指してずっと一緒だと。でも本当はそんな不確かな期待ではなくて、隣にずっと立っていたい、なおかつ人の記憶は薄れることも知っているので、「全部同じだ」というのは嘘をついています。

(歌詞の字幕はそのためにああいう場所に出ていたんですね。)

 

どんなに心通じ合っている二人でも秘密はあるし、言わないことだってあるし、言えないこともあるんだというのは、二人の人間でなければ生じ得ないものだと思います。自分の中の自分は、語らないことはあっても、確かに自分の中にあって、それはある一面での事実に他ならないのですが、他者ではそうはいかないのです。けれど、秘匿されたものがあっても通じ合おうとするからこそ、人と人との関係は美しくなるのだと思います。何もかもが詳らかであることは、理想的だといえることもあるのかもしれませんが、そこに自分はいません。それどころか、誰もいないといえるでしょう。

 

yumao様に制作をお願いしたイラストは、そんな「二人」の心の模様を素晴らしく表現してくれました。

硝子細工のようなイラストによって、心の不安定なゆらぎと、純粋に思い合うが故に、嘘と知りながら受け入れる悲しさが美しく描かれています。

 

今回のイベントのテーマになっている「花」についても少しだけ…

動画内で沢山出てくる青い花は、海外で墓前に備えられる花をイメージしています。

併せて、Cメロのあとのコーラスは、教会の鐘をイメージしています。高い音の鐘が鳴って、花が備えられる。そして実はあの花は段々と、動画の時間が進むごとに色あせていきます。それがどういうことなのか。折に触れて出てくる「心に触れてしまう」という歌詞が表すものもそうです。

心というのがそれぞれの本当の想いを指すのだとしたら、悲しきかな、二人は互いの心に触れあわないまま永遠に別れてしまうことになります。ラスサビの「君に言えたら」ってフレーズからわたしは、もしかしたら動画が始まったその時、男の子の前にもう、女の子はいないのかもな、という想像をしました。

 

長々としましたが、個人では2020年3月以来7ヶ月ぶりの動画となりました。

お楽しみいただければ幸いです。なにか思うところがありましたら、遠慮なくお寄せください。

 

こちらから匿名でもお送りいただけます

 

gifteeでもいいのよ(ちゃっかり